本日はSMの歴史についてのお話です。

ほとんどの方は、そんなものに興味がないでしょうが、自分の復習の意味もかねてまとめておきます。
さて、みなさん。サディズムとマゾヒズムという言葉は知っていても、その言葉の語源まで知っている人は多くありません。
実はこの2つ、どちらも人名から取られているのってご存知でしたか?
SMの歴史を学ぼう!
サディズムは嗜虐性向の強い小説作品を発表したり、実際にSM行為を娼館で行っていたというフランスの侯爵マルキ・ド・サドの名前に由来しています。
マゾヒズムはオーストリアの小説家、貴族であるレーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホから来ており、どちらも1800年代の人物です。
両名とも小説家であり、自分の願望である性的倒錯が文字として残っていたため、後年になりオーストリアの精神医学者リヒャルト・フォン・クラフト=エビングが1886年に発表した性的倒錯の研究書として著名な『性的精神病理』によってサディズム、マゾヒズムとして命名されます。
ここで初めて、SMという性的嗜好が定義付けされたわけですね。
もっとも、それ以前にもSMプレイ自体は広く行われていたと考えられています。ただそれを形容する言葉がなかっただけで、行為自体ははるか昔からあったことでしょう。
SMを趣向する人には傾向がある
ただ、今も昔もSMプレイというのはどちらかといえば社会的地位の高いひとやIQの高い人が好む傾向にあります。この二人も公爵や貴族であり、小説家でもあるのですから社会的にも名前を広く知られている人物です。現代においても医者や弁護士、警察官など、社会的に尊敬を集めたり厳格な仕事に就いている人ほど、SMプレイを楽しんでいるという事実があります。
もちろんごく一般的なサラリーマンやフリーターの人にもSM嗜好の人は多いです。社会的地位が高くなければSMは出来ないというわけではありません。ただ、SMプレイを楽しみつくせるという土台においては、やはり医者や弁護士のような人のほうが髄まで楽しめるといえるかもしれません。
昼間は立派な先生として周囲から頼られ、依頼人や患者からは心の底から感謝され、まさに世のため人のために役立つ人間です。しかし夜では娼婦のような商売女に罵倒され、ムチで打たれ、昼の顔からは想像できないようなだらしない顔をさらけ出すわけです。思うに、この昼と夜のギャップが激しいほど、SMプレイの真髄…本物のSMというものを味わえるのかもしれません。
現代のSMは伝統芸能でもあり、今もなお開拓されている分野でもあります
SMという概念が出来てからまだ200年ほどではありますが、されど200年。これまでに様々なSMプレイが考案され、今もなお引き継がれています。SM愛好家の中にはこういった伝統を重んじる方が多く、中にはSMとはかくしてこうあるべき、というちょっと頑固なかたもいます。
でも、個人的にはSMというのはもっと自由で、新しいことをどんどん取り入れるべきだと思うんです。たとえばバイブをつかったSMプレイなんてのはもはや当たり前になってきていますが、バイブが一般的に流通し始めたのなんてここ数十年のことです。
これからもそういった新しい概念がどんどん登場してくると思うんです。たとえばビデオチャットをつかった遠隔での調教なんてのも、だんだんと認知されはじめているように感じます。ネットを利用した羞恥プレイなども工夫次第ではいくらでも遊べそうですからね。SMにとって大事なのはそういった創意工夫であり、現状に満足しない精神だと思うんです。
SMはどんどんカジュアルになっています
ぼくからすると信じられないのですが、いまは相手にSかMかどっち? なんて聞くのがかなり当たり前になっているそうです。さすがに会社の飲み会で部下が女性の部下に同じ質問をしたらセクハラ扱いになってしまうでしょうが、合コンなんかの場では挨拶代わりにこの話題になったりするそうですよ。
というよりはむしろ、そこを入り口としてエッチな話に展開したいという便利な言葉として使われているようです。
それにテレビなんかでもよく使われていますからね。いわゆるゴールデンタイムのバラエティ番組でさえ「ドM」だったり「ドS」なんて言葉がふつうに出てくるのですから。今はほんと、SMってものはカジュアルな存在になったものだと実感します。
SなのかMなのか…正しい意味で使っているひとは少ない!?
むしろそういう場で使われているSやMと、SMプレイにおけるSやMというのものには多少の違いがあります。いわゆる前者のSMというのはボケとツッコミのような、「イジり役をS」として「イジられ役をM」といったふうに位置づけている感があります。
さらにSというものは自称するものではなく、人から言われるものであって、自ら名乗るケースというのはあまり見られません。逆にMというものは自らそれを公表し、カミングアウトするケースが多いように見受けられます。さらには他者からドMとして見られることに悦びを感じることも多いようです。この辺りはSとMの性格の差がでているのかもしれませんね。
余談ですが、日本でのSMはサディズムとマゾヒズムの頭文字であることはよく知られていますが、欧米ではSlave(スレイブ)とMaster(マスター)の頭文字であり、それぞれ奴隷と主人という意味になっています。つまり日本でいうSMと欧米でいうSMでは役割がまったく逆になってしまっているのです。もし英語圏の人とSMについて話す機会があった際は気をつけましょう。
わたしはドMです!なんて言った場合は、大きな誤解を受けてしまうことになるかもしれません。それに海外ではSMプレイというのはもっと崇高なものとして扱われています。日本のカジュアルさとはだいぶ違う空気だということをお忘れなく。
日本においてこのカジュアルなSM観が広く浸透しているのは功罪ともにあるでしょう。まるで血液型や出身地のように「○○ちゃんはSかMでいえばどっち?」「えー、どっちだろう?どう見える?」「Sかなーって思ってたけど、違う?」「よくそう言われるんだけど…実はけっこうMなところがあるかも(笑)」「へぇー意外だね!でも言われてみればそうかも」「そういう○○くんはどっちなの?」なんて会話がごく日常的に繰り広げられています。
SMへの偏見がなくなり、間口が広がるのはいいことなのですが、昔からのSMユーザーとしてはやはりちょっと複雑な面もあります。この手の「昔はよかった…」という話はどこにでも、いつでもある話ですし、結局自分が一番楽しかった時代が「よかった時代」なのですから、今から始めた人は「今」が一番いい時代で、20年後にはわたしと同じことを言っているかもしれませんね。